8回に代打・山川の2ランで追いつくも守備のミスから勝ち越しを許し敗戦




本日のライオンズ戦の結果(Koboパーク宮城)の結果


vs.東北楽天ゴールデンイーグルス戦第10回戦 ライオンズ5勝6敗


試合開始:16:01 試合終了:19:08 試合時間:3時間07分 観衆:27,387人


イーグルス 4―2 ライオンズ 


【投手リレー】(カッコ内は投球イニング数を示す。)
(L)十亀(5)〜野田(1)〜武隈(1)〜シュリッター(1)
(E)美馬(6)〜福山(1)〜ハーマン(1)〜松井裕(1)


勝利投手:ハーマン2勝1S  セーブ:松井裕3勝1敗24S  敗戦投手:シュリッター2敗


本塁打
(L)山川3号2ラン(ハーマン)


先発の十亀は、初回は球数を要しながらも無失点に抑えたものの、2回は銀次と聖澤に連打を浴び、続く今江がバントをしてくると思いきや強行して遊直。下位打線に回るし、普通は抑えられるはずなのですが、1死1、2塁から三好に四球で満塁。この四球が痛かったですね。打順がトップに戻り、島内に押し出し四球、ペゲーロには二ゴロを打たせたはずなのに、浅村が一塁への送球が出来ずに、この回に2失点。


抑えなければいけない打者に四球を出してピンチを広げていれば、自ずと失点につながります。2失点目は、防げる失点でした。普通に捕球して送球できていればアウトに出来ていたので。(なぜかエラーはつきませんでしたが)


続く岡島の打球を十亀がグラブに当てたため打球方向が変わり、結果的に二ゴロになりました。グラブに当てていなければセンター前ヒットになって、さらに失点をしていました。さすがに3点以上の先制点を取られていては、その時点で勝負ありになっていたでしょう。


2失点であれば、攻撃陣がワンチャンスをモノにできればどうにかなる点差なのですが、今日はこの2点が重く感じましたね。イーグルス先発の美馬は剛速球があるわけでもなく、凄みはない投手なのですが、打たせて取る投球をされてしまいました。


美馬は6回終了時点で72球。7回も続投するはずだったのですが、一度マウンドに上がった後で「足が攣った」ということで降板。これはラッキーと思ったのですが、2番手に上がったのが今季防御率0.00の福山で、2番の源田から始まる打順で無得点。


8回のハーマンに対しては、先頭のクリ(栗山)が遊ゴロ失策で出塁し、その後ボークが絡んで2死2塁。岡田の打順で代打に出てきたのは、今日1軍登録されたアグー(山川)。打球は右中間に上がり、スタンドまでは後一歩で届かない外野フライかと思ったのですが、思いのほか打球が伸びてスタンドへ。8回2死で2−2の同点に追いつきました。今日は試合後に花火大会が予定されていたのですが、もしかすると花火が中止になるようなロンゲーになりそうな予感がしました。


8回表が終わったタイミングで、知人のところに話しかけに行ったのが悪かったのかはわかりませんが、8回裏に先頭の銀次に四球を出した後、聖澤と今江が仕掛けてきたバントの場面で1つもアウトを取れずに無死満塁に。さすがにバント処理を2つ続けてミスったら、無失点で抑えるというのは調子が良すぎますよね。続く代打・アマダーにレフト線に運ばれて2点のリードを許すことに。せっかく追いついたのに、四球にバント処理でミスして失点とはね。もったいない失点でした。


9回はイーグルスの抑えの松井裕樹相手に1番からの好打順でしたが、三者凡退で試合終了。


試合後に花火大会があったので、気分良く見るためにも勝って終わりたかったですが・・・


花火大会は途中までの参加。


スタンド内だと外野が一番見やすいということで、試合後に内野から外野へ回ってきた人もいるみたいでした。


さすがに花火が始まると、照明は全消灯でしたね。スコアボードの明かりだけでも結構明るかったですよ。


球場を離れた後、応援仲間との反省会はいつもの店、というか昨日も行った店で。負けたのでサービスドリンクは角ハイボール。牛タンは「極」ではなく普通のもの。


午前中には、私が十数年前、まだ学生の時代に、研究の関連でいろんな学校が集まるセミナーがあり、そのセミナーが開かれた地域を訪ねました。最寄りで使った駅(JR仙石線野蒜駅)は、震災の時に津波の被害を受け、今は高台に移設されています。


前回訪れたのは、確か仙石線が震災後の工事を終えて全面復旧したタイミングなので、2年前だったかと思います。その時から比べると、海から離れたエリアに新たな住宅が建てられ、仙石線のホームの下を通り抜ける連絡通路も出来ていました。連絡通路の一部分は、地中熱(夏は涼しく、冬は暖かい)を利用した換気がなされているのか、非常に涼しかったです。


2年前に訪れた後、廃校になってしまった小学校がありました。校庭は2年前の時点で既に工事用のプレハブや消防団の仮の施設として使われていました。



野蒜駅に行ってみましたが、駅舎自体はまだ残っていました。ただ線路は撤去され、石巻方向には駐車場が整備されていました。


(駐車場側から見た旧駅舎の様子。手前左側が元々改札があった場所)


駅名を示す表示はそのまま残されています。大震災の時の浸水深さを示す表示とともに。


ちなみに、旧駅から新しい野蒜駅を見るとこんな感じです。


セミナーを開いた場所(海側)の方向には2年前には行かなかったので、今日行ってみました。


進行方向には、震災前は道の両側に樹木が植えられ、並木道のようになっていましたが、今はそんな様子は全く見られません。


この表示の場所を右に曲がり、海に一番近い道沿いに進んで、確か右側に建物があったはずなのですが・・・ 10分くらい歩くとこんな表示が・・・


かんぽの宿とかそんなものだったかは記憶が定かではないのですが、この場所で間違いないかと思います。2年前に来た時に遠目で見た時は建物がまだあったように思いますが、状況が状況なので取り壊してしまったのかもしれません。建物の跡形もありませんでした。


大震災の時は津波による被害で多数の死者や負傷者を出してしまいましたが、堤防の整備は引き続き行われていました。


再び今の野蒜駅に戻ってきて、駅前の時計台が気になったので、写真に収めました。