新年のご挨拶

遅まきながら、新年あけましておめでとうございます。
このブログも2年目に突入です。
本年もよろしくお願い致します m(_)m


年末年始にかけては父方の祖父母の所(山梨県身延町)へ行ってました。(12/30〜1/3まで)
31日(大晦日)は、午前中に毎年恒例のそば作りをしました。僕は隅の方で雑用をやっていただけですが。つなぎに芋を入れ過ぎて、市販のそばに比べるとプツプツ切れやすかったですが、うまかった! 
夜は、21時までは紅白を見て、それ以降は別部屋でK−1を見ました。曙vs.ボビー戦と吉田vs.小川戦が重なりましたが、テレビの映り具合もあって、前者を見ました。最後は判定になりましたが、あれだけ優勢に進めていたのなら、曙が勝たなきゃいけませんよ。勝てない原因はズバリスタミナ不足です。2ラウンドの最初で息が上がっているようでは… Final Roundなんか、曙がボビーをロープ際に追い込んだにも関わらず、ボビーが脇の下からすり抜けるほどの詰めの甘さでしたからね。そろそろ引き際を考えた方がいい気が…
K−1が終わり、紅白のフィナーレを見届けてから、近くの寺へ除夜の鐘をつきに。鐘をついた後は甘酒を頂き、お守り等をもらって帰宅。工事のため、来年と再来年は鐘つきが出来ません、残念ながら。帰宅後は年越しそばを再度食して、1時過ぎに就寝。


元旦。正月の3が日はスポーツ観戦三昧ですが、この日は昼は天皇杯サッカー決勝、夜はTBS系のプロスポーツマンNo.1決定戦を最後まで見届けました。最後の大逆転で池谷のV2が消えたのが劇的でした。
この日、昼過ぎに同い年のいとこが来ました。久々に会ったのですが、嫁さんと娘(8か月)を連れてきたんですよ。入籍したことは全く知らされていなかったので、ビックリ!でした。数年前の正月、スキー帰りのいとこが女性を連れてきたことがあったのですが、その女性が今の嫁さんというわけです。以前に後ろ姿だけは見たのですが、面と向かって話をしたのは今回が初めて。色白で、もの静かな感じでした。
8か月の娘を連れてきたわけですが、体重が10kg弱。抱っこしたり、自分の膝の上に立たせたりしたのですが、とにかく重かった。ウェートトレーニング用のバーベルと違って重心移動をするので、実際の体重より重く感じました。でも喜んでくれていたようなので、よかったです。夜泣きも殆どせず、おとなしいながらも人見知りをせず、扱いやすい子でした。僕が両手でおいでおいでをしたら、笑って指をつかんできたりしたんですよ。いろいろ遊んでいたら、自分のやるべきこと(修論作成)が殆ど出来ませんでした。
今度会うときは歩けるようになっていて、追っかけ回されたり大変になるかもしれませんが、再会(おそらく来年の正月)が楽しみです。自分も早く子供が出来るといいなぁ… (といいつつ独身ですが (><)


2日と3日は箱根駅伝をTV観戦。もちろん(期待はあまりせずに)山梨学院を応援していました。2区のモグスの12人抜きの快走でトップに立つと、5区の途中まで首位キープ。復路は4位スタートも、各走者が粘りを見せて、最後は2位でゴール! 優勝した亜細亜大学同様、下馬評は高くなかったので驚きました。山梨学院の日本人選手は、全日本大学駅伝の後に、モグスに相当喝を入れられたんでしょうね。
「駅伝はボク(モグス)だけでやるんじゃない。全員が頑張らないといけないんだ!」って。
今回の駅伝は、前評判の高かったチームがことごとくダメでした。日大は2区のサイモンがブレーキしていなければ、優勝の可能性もあったのに。5連覇を逃した駒大は復路の2年生が思うように走れず、東海大は1区の出遅れを最後まで取り戻せず。
一番衝撃的だったのが、8区で脱水症状により最後は走るのもままならない状態だった、順大キャプテンの難波選手。2号車の実況アナウンサーが彼の走りを実況しようとして声を詰まらせた時にはいたたまれない気持ちになりました。順当に走れていれば、首位を堅持して9区のランナーにたすきをつなげられていたであろうに。現実は非情であります。


かくして、僕の正月休みは終わりました。これから1月末の修論提出までは忙しい日々が続きそうです。このブログの更新も滞ってしまうかもしれません。申し訳ありませんが。


今日、


箱根駅伝での亜細亜大学初優勝を上回るサプライズな出来事


がありました。


G江藤・FA移籍の豊田の人的補償選手としてライオンズに移籍


1塁はカブレラ、3塁はおかわり君(中村)を基本線でいくでしょうから、DHでの起用になると思われます。Gで活躍できなかった分まで頑張って欲しいです。ちなみに、公式戦でのライオンズ移籍初本塁打記念のプロ入り通算350本塁打となります!