メヒアさまさまや~ 退団・・・

午後のテレワーク中に知りました。

 

「世界の反対側から日本に来た私にとって、(コロナ禍で家族が来日できず)いないことは本当に大変でした」とのこと。シーズン中は日本で働くことによって、1年の半分以上は家族と直接顔を合わせることが全く出来ない。息子のアロンソ君も物心はついているとはいえまだ小さいですし。気持ちは非常によくわかります。コロナ禍の中、外国から異国の地・日本に家族と離れてやってきて、一生懸命プレーしてくれている選手には感謝してもしきれません。

 

メヒアさんの思い出としては、まずはデビュー戦(札幌ドーム)での初打席でのレフトスタンドへの弾丸ライナーでの本塁打です。自分の誕生日のデビュー戦初打席初本塁打ということで強烈に印象に残っています。

 

デビュー戦で本塁打デビューする前から何となく長く活躍してくれそうな予感があり、ゲーフラを作っていました。文字数が同じで音も似ているということもあり、「n」で始まるトイレットペーパーのパッケージのデザインをまねて作りました。

f:id:naohosk:20210726232313j:plain

 

このゲーフラのデビューは、彼のデビュー戦の翌々日のこの球場でした。コロナ禍の前の仙台の客入りを考えると、今では週末にこの球場で主催試合をやることは考えられませんが、7年前は土曜デーゲームでの開催でした。翌日は盛岡で。

f:id:naohosk:20210726232513j:plain

f:id:naohosk:20210726232524j:plain

 

シーズン途中からの入団ながらおかわりさん(中村)と本塁打王のタイトルを分け合ったシーズンでした。

 

このシーズンだったかは記憶が定かではないですが、シーズン中にためたポイントを消化するために、メヒアさんのケース入り直筆サインボールの抽選に10,000ポイントをつぎ込んだら当たってしまったなんて奇跡的なこともありました。ボールは今も保管してありますが、写真のデータが見当たらず・・・

 

今の監督になり、アグー(山川)がスタメンに定着するようになり、2000本安打に向かってカウントダウンに入っている人がレフト→DHに回るようになってからはスタメンでの出場機会が減っていきました。

 

それでもコロナ禍前の最後の年の2019年。シーズン6本塁打のうち、4本がイーグルス戦、うち3本が松井裕樹からという、「松井裕樹キラー」を存分に発揮したシーズンが印象に残っています。GWの9回裏の同点2ランに、ホーム最終戦で9回裏3-3の同点からのサヨナラ2ランでマジックを4に減らした本塁打

f:id:naohosk:20210726234106j:plain

f:id:naohosk:20210726234128j:plain

 

さらにその3日後、今度は仙台で2-2の同点で放った左中間への走者一掃の2塁打。高く上がった飛球だったので、普通にレフトかセンターかどちらかに取られるだろうと思っていたら、その間にポテンと落ちて一挙に3点が入り、マジックを2に減らす決勝打になった2塁打。この日、福浦和也引退試合を行っていたマリンで、メヒアの走者一掃2塁打により他球場の経過の得点表示が動いたときに大騒ぎになっていたらしいということも忘れられません。(翌日優勝決定ゲームになる可能性があることもあって、仲間がマリンで観戦していた・・・)

f:id:naohosk:20210726234158j:plain

 

8シーズンもの間、他球団に引っ張られそうな噂もありながら、日本ではライオンズ一筋を貫いて戦ってくれたことは忘れません。ライオンズにとって優良外国人助っ人野手でした。

 

コロナ禍なので、一旦日本を離れてしまうと来日は難しいと思いますが、ビデオメッセージでも構わないので、本人の口から発せられるお別れのメッセージを聞きたいです。

 

そして、コロナが落ち着いて、来日できる条件が整ったら、セレモニーか何かやって欲しいなと思います。

 

日本を離れた後、引き続き現役選手としてのプレーを続けられるのかどうかはわかりませんが、現役引退後、またライオンズに貢献していただける機会があればと思います。現地の駐在スカウトとか何でも。

 

日本での8シーズン、お疲れ様でした。

 

現地参戦の試合で、大量ビハインドで7回裏を迎えたときは、現在故障離脱中のルーキー・若林選手のタオルを掲げているのだけど、今シーズン終了までは一緒にメヒアさんのゲーフラも掲げようかな・・・